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F.C宇部YAHHH-MAN(ヤーマン)サポーター(サッカー日本代表パブリックビューイングもやるよ)

F.C宇部YAHHH-MAN(ヤーマン)サポーター(サッカー日本代表パブリックビューイングもやるよ)

PVをはじめた理由(歴史・ビジョン)

【はじめに】

●宇部未来会議について:
 宇部未来会議は、全国のロータリークラブが提唱した、各地域での若者を中心とした「新世代会議」育成方針に宇部の3ロータリークラブも賛同、音頭をとって誕生した組織です。若者世代で構成される団体(商工会議所青年部、青年会議所、若き経営者の会、ユネスコ協会青年部、ローターアクトなど)から、当時20代の出向者が集まり、最初に宇部未来会議実行委員会が結成され、後に実行委員会が「宇部未来会議」となりました。
未来会議の実績:クリスマス時期の宇部全日空ホテル前「サンタ・クロスロード」実施など

●プルミエールについて:
 98年フランスW杯でのパブリックビューイングがきっかけとなり結成された、地元商店街や地域の協力の元にサッカー日本代表の屋外TV応援(パブリックビューイング=PV)を行っている日本代表サポーターチームです。

●パブリックビューイング(PVと略しています):
パブリックビューイング(PV)とは、スポーツ大会などのTV生放送を大画面に映して大勢で観戦・応援するイベントのこと。


【パブリックビューイング(PV)実施のきっかけとこれまでの実績】

1.1998年サッカーフランスW杯開催。W杯に日本代表が初出場。

 第一戦(対アルゼンチン)開催時、大都市市街地には街頭大型ビジョンが当たり前に存在し、そこに若者中心に人々が自然と集まって日本代表の応援をしていた。その光景をTVや新聞で見ながら、とてもうらやましく、そして地方がまた置き去りにされているのかという虚しさを感じた・・・
 その数日後、定例の未来会議があり、終了後の懇親会の席でその街頭応援が話題に。「宇部でもそういう応援できる場があったらいいな」という一言がきっかけとなり、急遽PV実施に向け検討、準備がスタート。第二戦まで数日しかない中、未来会議メンバーや出身団体の人脈・情報網がフル回転。その結果、既存のインフラや機材、場所などの情報が瞬く間に集まり、それらをうまく寄せ集め使用することで、当初不可能かと思われたPV実施が短期間で決定!
 第二戦(対クロアチア)で初めてPVを実施、続けて第三戦対(ジャマイカ)でも開催。当時、県内の都市で、街でPVを行った場所は宇部くらいで(あと徳山の駅ビル内で実施された模様)、新聞やTVニュースで報道され話題となった。結果、数百人以上が集まり、これが宇部でやったイベントかと皆が思うくらい大いに盛り上がり、成功の内に終了。
 第三戦の時、後に共にプルミエールを結成する秋田勲と新田が知り合う。

2.2000年シドニー五輪、02年日韓W杯(1999年~2002年)

 宇部未来会議は、元々はイベントを行うことを目的に結成された団体ではないため、PV実施はひとまず終了。
 しかし、1998年で培ったPVのノウハウと経験をこのまま終わらせたくないとの思いから、未来会議とは別に、参加者有志で日本代表PVを行うチーム「プルミエール」を結成。初代団長に秋田勲が就任。
 以降はプルミエール主催でPVを実施。W杯後、話題性に乏しく参加者は激減したが、一度やめると復活は無理だとの思いから、寒い日も暑い日も辛抱強く続ける。

3.2002年日韓W杯で再びブレイク。

 いろんな経緯(後に記載)から新天町と銀天街の2カ所でPVを開催。
 メンバーの新田は、新天町と銀天街と交互で開催するシナリオを描いていたが、銀天街は「銀天街青年部」主催で実施(青年部結成のきっかけとなり銀天街から喜ばれる)、新天町は宇部未来会議主催で実施。プルミエールは両会場に分かれて参加。両会場とも、とんでもない数(500~700人以上)の集客となる。
 この時、宇部市内での2カ所開催を巡りインターネットBBS「宇部熱」では投稿者間でさまざまな憶測や議論がなされ、銀天街と新天町は仲が悪いとか、対抗意識が強いとかの誤解を生じた。
 2カ所開催となった経緯は、当初、スタッフ人数不足の不安から、新田が(商店街の方々がイベント参加に積極的な)新天町に話を持って行ったこと、それとは関係なくW杯直前に銀天街青年部がこのPVをやるために急遽立ち上がった事が本当の理由。
 また、TVや新聞での報道を見る限り、2002年W杯における山口県下のPVは宇部が最初に実施。その後、他都市(防府、下関など)でもPVを開催。

3.2004年アテネ五輪、他競技のPV開催。

 アテネ五輪では日本時間深夜2時頃の試合開始だったため、プルミエール主催で会場近くの洋食屋「らいぶ」で観戦会を実施。決勝トーナメントに出ればPVをやる予定だったが日本が惨敗。地元出身の高松大樹選手や周南市出身の田中達也選手が出てたのに残念・・・
 この頃、地元のダイエー(現ソフトバンク)ホークス応援団や阪神応援団による日本シリーズPVも開催するようになった。他スポーツのファンや応援団も巻き込んで、銀プラでパブリックビューイングをやる協力会に発展できないかという話が出始める。

4.2006年ドイツW杯。

 再び宇部未来会議とプルミエールが結束、宇部未来会議主催でPVを実施。
 普段は閑古鳥、W杯予選でも100人台しか集まらない銀プラPVも、W杯になると、どこからが沸いて来るのか会場は人でぎっしり飽和状態(たぶん1000人以上)。会場キャパの限界を感じた年。
 悲しい試合結果に終わったため目立つ問題は起こらなかったが、試合内容と結果によっては盛り上がり過ぎて制御不能になるおそれありと真剣に感じた。キャパシティの限界が今後最大の課題となる。

5.次は、2008年北京オリンピック。そして2010年へ。

 現在、最終予選通過が危うく感じるような試合状況なので、(なっては欲しくないが)あっさり負ければ盛り下がったままの10人PVで終わる。悲しみに沈むだろうが会場管理の心配はいらない。
 問題は、今の実力が災い(幸い?)し変に混戦状態となると異様な盛り上がりに確変する可能性があること。しかも2000年中国アジア杯時のように別の国際事情がからむと、盛り上がりはスゴイだろうが本当に会場制御不能となる恐れあり。
 W杯じゃないからそこまで心配する必要ないかもしれないが、どっちにしろ2010年までには対策をしなければならない。
 なぜなら、オシムジャパンに夢を託しているから。
 その時は、宇部まつり規模のPVができれば、感動だ・・・


【イベント実施による効果・ポイント】

●個人&団体間ネットワークの重要性(=宇部未来会議の存在意義の一つに) 
 98年の最初のPV実施時、発案から数日という短時間で準備に必要な人・モノが揃ったことで、
 宇部未来会議を構成している団体およびそれらが繋がった時のネットワークのすごさを思い知る。
  →→→ 団体間連携の重要さや潜在能力を強く認識する。=市民活動の大切さを知る。
  →→→ 後にできた市民活動センターが存在することの偉大さ、重要さがわかる。

●街中に長年蓄積された(眠る)インフラの再発見 
 会場、PA、TV受信設備からイス机にいたるまで、現在揃っているインフラを活用し、
 費用をほとんどかけずにイベントを実施できた。
  →→→中心市街地が重要視される大きな理由のひとつになる。

●商店街活性化との関係 
 「商店街」ではなく「中心市街地」活性化のきっかけになればという考えで企画行動すべき。
 中心市街地の重要性を再認識するきっかけになりたい。
  →→→市民活動の拠点(郊外ではムリ)→→→地域の活性化

 商店街の想い:商売は当事者の問題。それよりも街を愛し市民に街を利用して欲しいという思いが強い。

※商業活性化との関係
 商業は立地産業。今の中心市街地では「立地」を再構築しない限り、商業の活性化は難しい。
 商業者は店舗移転や立地無関係で販売できる仕組みに転換するなどして事業を行っている。
 よって、商業で不特定多数の集客を行うこと(=活性化)は現状では無理。

  →→→商店街は特定顧客によって成り立つ商業サービス業態の集積になると予想。


【今後の目標・ビジョン】

「いきがい・目標・夢」づくりの一助となることにより、地域活性化に貢献する。

 スポーツ観戦イベントは世代性別関係なく、皆で一帯となって楽しめるコンテンツ。

 市民がもっと多く参加するイベントへ発展させる。
   →→→参加することの楽しさ・おもしろさを直に味わってもらう。(他の祭や市民活動も同じ)

    ↓↓↓↓↓

・仲間ができ、楽しみができ、うれしさ・くやしさ・わくわく感を実感。
  →→→「いきがい・目標・夢」ができる。(例:プロスポーツのサポーター、踊りのチームなど)
  →→→ 同一目的・目標を共有する集団が形成 →→→ 地域の活性化につながる

・目標・生き甲斐があると生きることが楽しい。
  →→→仕事も遊びも含め、生きることに一生懸命になれる →→→地域の活性化

せち辛い今の世の中、個人間・家族間・地域間が希薄になりつるある現代だからこそ
「いきがい・目標・夢」が必要。それが生きる力になります!


【最後に、もう一つ、言えれば】

イベントにいかに集客するかを考える=もの・サービスをいかに売り込むか考える
=マーケティングの勉強になる →→→ 営業力が身に付く、かも???


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